I LOVE 【LOS ANGELES】

~はじめに~

私は東京に在住しており、都内の大学の二年生である。今は、ロサンゼルスに短期留学に来ており、ここで見たもの、聞いたこと、そして肌で感じたことを伝えていこうと思う。ロサンゼルスに来て感じたことは、まず、明らかに日本より発展している。街やお店で見る、食べ物、工業、インフラ、ほとんどが日本より先を進んでいると感じた。どのようにしてロサンゼルスはこのような大都市まで発展したのか。次に、ロサンゼルスでは非常に多様な人々が共存して生きている。正直、来る前に多少のアジアンヘイトを恐れていたが、来てみて、そのようなことは全くと言っていいほどない。体感では、白人3割、黒人3割、ヒスパニック2割、アジア人2割ほどであると感じた。ロサンゼルスでこのような多様な人種が共存している背景には何があるのか。また、これらには共通して「気候」と「人々の考え方」が関わってくる。その辺も交えて、私はここでロサンゼルスの歴史、人種、そして最後に魅力をありのままに伝えられたら良いと思う。

<目次>

1,ロサンゼルスの歴史

2,ロサンゼルスの「人種」と「マインド」

3,ロサンゼルスの魅力(ランキング)

1,ロサンゼルスの歴史(経済)

1781年に、アフリカ系、スペイン系、ネイティブアメリカンなど44人、約11家族もの人々が、カリフォルニアと同じくスペイン植民地であったメキシコから、現在のダウンタウン・ロサンゼルスに入植し、「El Pueblo de Nuestra Senora la Reina de Los Angeles de Porciuncula(天使の女王の町)」を形成した。「ロサンゼルス」という街の名はここに由来する。【Angeles】=【エンジェル】を思い浮かべる人も少なくはないだろう。

今やロサンゼルスは世界的な大都市であるが、このような大都市に発展した要因は、経済的な観点で、大きく分けて約3つに分けて考えられる。

まず一つ目は、「農産物」である。1848年、サクラメント近くで偶然、金鉱脈が発見される。そこから、東海岸や国外にも大々的に金発見のニュースが報道され、【ゴールドラッシュ】が起きる。ここから、人々は一攫千金を求めて、サンゼルス近郊へ押し寄せてくる。人口が増えると、同時により多くの食料が必要になり、食肉の需要が一気に高まる。こうして、畜産業が盛んになったのである。また、このころロサンゼルスでは以後の発展に欠かせない新たな産業が生まれていた。「ネーブルオレンジ」である。ゴールドラッシュで働きに来た人々は、よりたくさんの栄養を必要とネーブルオレンジ フリー画像 に対する画像結果した。そこで1873年にブラジルから、カリフォルニアの気候と土壌で良く育つ「ネーブルオレンジ」の木がリバーサイドに持ち込まれた。そのフォルムは、日本で言う「みかん」に似ており、程よい酸味と甘味のバランスと種がないことから、生食やジュースによく使われるらしい。私がロサンゼルスでホームステイした家庭でも、このようなオレンジを栽培していた。カリフォルニアは非常に気候がよく、その点でいえば、かなり多くの農作物の作成に適している。こうして、カリフォルニア州内の柑橘系樹木は75年の9万本から、85年には200万本、1901年には450万本になった。約25年で、50倍にもなったのである。収穫されたオレンジは大陸横断鉄道により東海岸にも輸送され、柑橘農業はカリフォルニア州の主要産業となっていく。現在でもカリフォルニア州は、フロリダ州に次いで全米2位の生産量を記録している。このようにして、ロサンゼルスの「農作物」は発展した。参照:ロサンゼルスの歴史|ロサンゼルス観光ガイド|現地情報誌ライトハウス (us-lighthouse.com)(2023年2月14日取得)

二つ目は主に、「工業」の発展である。1892年、実業家のエドワード・L・ドヒーニーが現在のダウンタウンの近くで、「石油」を発見した。ここから、この付近で油田がたくさん見つかっていき、ロサンゼルス、オレンジ・カウティー各地で石油産業が発達していった。今は、メキシコ湾岸の都市が豊富な産出量を持っているのだが、カリフォルニアでもなお、油田の採掘がおこなわれている。私も街を散歩しているときに、何回か、人々が道路周辺の穴から何かを掘っているような様子を見たことがある。日本で、このような光景は見たことのあるはずもなく、彼らは石油を掘り起こしているのだよと聞いたときはとても驚いた。工業の発展では、主にこの石油が深く影響した。また、工業の発展には、「航空」も欠かせない。今や世界的に有名な空港となった、ロサンゼルス国際空港(通称:LAX)は、2019年の旅客数が8806万人で、アメリカの空港ではアトランタ国際空港に次いで、3位であった。これは世界全体においても第3位に位置する。LAX フリー画像 に対する画像結果このような空港ができた背景には、一つの航空ショーがある。1910年、カーソンのドミンゲス・フィールドで、アメリカ初の航空ショーが開催された。ここでは、多くのブリンプ(軟式飛行船)やツェッペリン(硬式飛行船)が飛び交い、飛行に最適な年中温暖な気候、安価だが広大な土地、勤勉な人々などという理由から、続々と航空機メーカーが設立された。航空は、戦争においても不可欠であるため、第二次世界大戦中、南カリフォルニアでは、約一万機以上の軍用機を製造した。第二次世界大戦後も冷戦まで航空機の需要は上がり続けていったが、冷戦が終わると、需要が減ってしまう。そして、必然的に航空機メーカーは破産や統合を繰り返し、衰退していった。ただ、この時に発展した航空業界はロサンゼルスに深く根付いて、今の航空業界を生み出し、「工業」の発展を促進した。

三つ目は第三次産業(エンターテイメント業、商業、サービス業)である。エンターテイメント産業では、まず「映画」が挙げられる。多くの人々は、ここでハリウッドを想像するだろう。ハリウッド に対する画像結果当時、アメリカの経済の中心は東海岸であり、そこは気候がよくなかった。初期の映画作りでは、フィルムカメラであったため高い光度が必要であり、雨や曇天だと室内での撮影となり、多くの照明を要する。そのため、一年中温暖で、夏に降水量が少ないロサンゼルスは映画作成に最適の地であった。また、ユニバーサルスタジオやディズニーなどの建設も、同じ気候の理由で誘致された。地の利を生かせているのはこのことだけではなく、日本などからも行きやすいこともあり、日本企業や韓国企業などアジアの大企業の多くがアメリカでの本社をロサンゼルス近郊においており、これらの企業の功績が地域の経済を潤している。

以上の

  1. 農業(第一次産業)
  2. 工業(第二次産業)
  3. エンターテイメント業、商業、サービス業(第三次産業)

が、ロサンゼルスが大都市の発展した歴史である。

2,ロサンゼルスの「人種」と「マインド」

次は、ロサンゼルスで、なぜ多様な人種が共存しているのか。その点について話していく。街中で、メキシコ系のスーパー、韓国系のスーパー、東京系のスーパーなど、様々な人種のニーズに沿った、スーパーを見かける。需要があるから実在しているわけであり、それほど様々な人種の人々が共存しているのである。初めに私は、体感で、白人3割、黒人3割、ヒスパニック2割、アジア人2割ほどであると感じた。と話したが、実際は

白人34.7%(約3.4割)

無料 太陽の下で一緒に楽しんでいる人々のグループ 写真素材

黒人(アフリカ系を含む)12.1%(約1.2割)

ヒスパニック(ラテン系を含む)39.4%(約4割)

アジア人15.1%(約1.5割)

https://www.census.gov/newsroom/press-releases/2021/population-changes-nations-diversity.html(参照:2020年米国国税調査)

であるらしい。なんと一番多いのはヒスパニックであり、その次に白人、そして最も驚いたことは、黒人より、アジア人の割合の方が少し大きいということである。ヒスパニックがここまで多い理由は、大きく分けて二つある。一つ目は、ロサンゼルスの先住民がメキシコからの移住者であったことだ。1781年、当時スペイン領であったメキシコから、先住民が移住し始める。そして、様々な国から移民が住み始める。つまり、もともとはヒスパニックが開拓した土地であったのだ。二つ目は、メキシコと、地理的にとても近いということである。アメリカは言わずもがな先進国であるのに対して、メキシコは未だ発展途上国と言われている。そのため、今現在からも、メキシコからアメリカに移住する人々が多いという。理由としては、豊かな暮らし、そして職を求めて、来るのだそう。アメリカ側としては、安い賃金で働いてくれるので、大歓迎。こうして、ロサンゼルスにヒスパニックが増えていった。ヒスパニックが多いということもあり、街では韓国スーパー、日本のスーパー、もちろんアメリカのスーパーと並んで、メキシコのスーパーもある。私も一度行ってみたが、メキシコやスペイン料理が数多く並んでいた。また、店内の人々はみんながみんなヒスパニックというわけではなく、様々な人種が共存していた。

ここで、「人種」と「マインド」いうことについて、少し話したいと思う。私は、正直こちらに来る前に、多少なりとものアジアンヘイトを危惧していた。ニュースやネットの記事でアジアンヘイトが起こっているというのを見たことがあったからだ。しかしこちらに来てから、そのようなことは全くなかった。もしかしたら、自分が運のよいだけで、他で起こっているのかもしれないが、見た感じだとそこまで起こっている雰囲気はなかった。それどころか、ロサンゼルスには、韓国の釜山より韓国人が多いと言われているコリアンタウンや、100年以上の歴史をも持つチャイナタウン、そして、アメリカ最大の日本人街であるリトルトーキョーまでもある。多くの人種は、人種のるつぼ(Melting Pot)のように互いを打ち消し合い、混在しているのではなく、互いのアイデンティティを無くさずに共存している、人種のサラダボウルであると感じた。このような背景には、こちらに住む人ならではの「マインド」に気づいた。それは、他人より「自分」が優先ということである。日本では、ほとんサラダボウル フリー画像 に対する画像結果どの人々がよく他人の目を気にして、生活しているが、ロサンゼルスでは他人にあまり目を向けない。これは良くも悪くも自分優先という考えにありつく。そのため、街で走っている車はほとんどが汚れていて、中にはドアが外れていながら運転している車もあった。車の本来の目的である、「走る」という意味だけで車を使用し、他人の目は気にしないのである。日本でこのような車は見たことがあるはずもなく、日本人とこちらの人々と考え方は違うのだと感じた。また、この考え方は先ほどの人種というところにも通ずる。いちいち、他人を見て「~~は~~人」などということはめったにしない。他人にはそれほど興味もないのだから。この考えがあるからこそ、「人種のサラダボウル」は存在できていると私は感じた。他人を気にしないから人々は愛想が悪いということはなく、お店での接客からホテルのフロント、そして街で会う人まで、多くの人が目が合うと必ず笑顔で挨拶をしてくれる。たかが挨拶でも、笑顔で話してくれると非常に良い気持ちになり、頑張ろうと思える。ここに、ロサンゼルスの魅力があると思う。そこで、最後にロサンゼルスの魅力と、行くべきスポットをランキング形式で発表したいと思う。

 

3,ロサンゼルスの魅力(ランキング)

まず、私がロサンゼルスで圧倒的にお勧めするスポットは、グリフィス天文台である。

第1位, グリフィス天文台(Griffith Observatory)

グリフィス天文台 フリー画像 に対する画像結果

今この文を読んでいて、ロサンゼルスにいる、または行く予定のある人は必ず行った方が良い。少し高い丘から、ロサンゼルスが一望でき、海と山、そしてダウンタウンまでもが一つのシーンに映り込む。また、背後には「HOLLY WOOOD」のサインも見ることができる。そして地平線まで見ることができ、「地球が球体」であることを感じられるような景色は、ずっと見ていられる。夜は夜景が素晴らしく、行くなら断然夜をお勧めしたい。また、天文台の中では博物館や、プラネタリウムも楽しめ、様々なコンテンツで楽しめた。今まで生きてきて、一番記憶に残る景色だった。

次のスポットは、

第2位, ザ・グローブ(The Grove)

ここは、街中にいきなり現れるショッピングモールであり、アパレルから雑貨など、また、ご飯を食べることもでき、映画館まである。ここは、聞くだけでは普通のショッピングモールと変わらないと思うかもしれないが、実際に行ってみると、その想像は変わった。たくさんの緑と、噴水、また、中で電車が走っていザ・グローブ ロサンゼルス フリー画像 に対する画像結果る様子は、テーマパークを彷彿とさせるようで、とても良い雰囲気だった。自分が行ったときは広場でバンドの演奏が行われていて、「これぞ海外」と思えるような素晴らしい光景だった。ロサンゼルスに来たなら、ぜひ行くべきスポットであると思う。私はここで、チーズケーキファクトリーに行き、夕食を食べたが、ここのカルボナーラは今までで、一番美味しかった。

 

最後のスポットは、

 

第3位,ハモサビーチ(Hermosa Beach)

ここは、ロサンゼルスの中に数多くあるビーチの中の一つで、ビーチにバレーボールコートがあるのが特徴的である。こちらでは、Pier(桟橋)と呼ばれる橋が沖の方まで少し伸びていて、そこからサンセットを楽しむことができる。また、ビーチ沿いでは、多くの人がスポーツをしたり、寝っ転がったり、会話をしたり、スケートボードをしたりと、自由に過ごしている。さらに、飲食店も数多く隣接されていて、海の音を聞きながら食事をすることもできる。こちらは、ビーチが文化にあるため、ビーチで過ごすということを生活の一部にしている人が多い。雄大な海と、陽気な人々に囲まれながら、過ごすビーチは格別だった。個人的には、サンセットに合わせていくのがおススメである。

最後に、ロサンゼルスは、非常に土地に恵まれている。年中温暖な気候に加えて、雨季がない。そのため、多様な食料の作成に適している。街を歩いていても、非常に良い天気で、空が澄んでいることが多い。また、こうした天気のおかげで、航空技術や、映画技術は発展してきた。そして、ビーチをはじめグリフィス天文台など、たくさんの観光地を生み出してきた。こんなに気候に恵まれた土地は、まさに「天使の女王の街」である。また、多くの人々は日本人とは違った「マインド」を持つ。私は、日本からこのロサンゼルスという土地にきて、たくさんのことを学び、たくさんの価値観を得た。そんなロサンゼルスにぜひ足を運んでみたらどうだろう。